| 2006年08月のE-Style |
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| 2006年 8月 30日 [水曜日] |
| 佐島 |
私は大楠地区の佐島で生まれ育ちました。なので、祖父母のお墓も佐島のお寺にあります。お盆のときも行きましたが、祖父の命日にあたる今日、8月30日にも、お墓参りに行ってきました。祖父は佐島で漁師をしていました。同居をしていましたが、私が幼かったためか、祖父の記憶はほとんどありません。しかし、食の記憶とは、恐ろしいもので、祖父が海でとってきた海産物、特に磯の香りが濃厚に漂うとれたてのウニの味は忘れられません。未だ、そのウニの味が超えるものには、出会えていません。 佐島といえば、身近に海と緑がある。しかし、佐島に行くたびに、佐島もずいぶん様変わりしたなとかんじています。特にその印象を強くするのが、現在、宅地開発が行われている佐島の丘です。私の家のお墓のすぐ裏手も開発されて、木々がだいぶ減ってしまいました。6月に建設常任委員会の市内視察で、佐島の丘も行きました。開発前と現在の状況の空撮写真を見て、緑地の激減ぶりに他の議員も驚きの声をあげていました。私が議員となったときには、すでにこの開発は行われており、議会内で私が取り上げたことは、佐島から芦名へ道路が開通することによる交通渋滞緩和策や佐島の丘に建設される予定のスポーツ施設に介護予防の視点での取りくみの要望などについてでした。 視察の際、佐島の丘から見えた景色は、海が見渡せて本当に素晴らしいと感じました。 また、利便性、開発した土地の一部をグラウンドとして大楠中学校(母校です)が利用できるなどの地域への貢献も多くあります。 歓迎する声もあれば、地元の漁師の方から、大楠地区の緑の切り崩しによって、海へ流れ込む山の水の養分が減り、魚に与える影響を懸念する声も聞きました。 私は、佐島に住んでいた一個人として言えば、見慣れた景色が様変わりしていくことに一抹の寂しさを感じています。でもやっぱり、佐島が好きなので、人生最後の夢として、老後、佐島の海を見ながら余生を送りたいと考えるときもあります。
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| 2006年 8月 24日 [木曜日] |
| サンディエゴという街 |
8月19日、蒲谷市長が原子力空母配備の視察から帰国しました。同月14日から、米国に赴き、海軍基地のあるカリフォルニア州サンディエゴなどを訪れ、原子力空母の安全性に関する情報収集をおこなったとのことです。 サンディエゴ。実は、私にとって、大変思い入れのあるまちです。 なぜなら、私が初めて飛行機に乗り、初めて行った海外の地であるからです。 そのときは、ひと月程度ですが、同地のアメリカ人の普通のお宅にホームスティをして、語学研修を受けました。当時、私たち英文科の学生の間では、イギリスやアメリカへの旅行や語学研修がはやっており、(その上、私は、英語のサークルに所属していたので、かなり雰囲気はヒートアップしていました。)かつその中で、アメリカを選択する人間の間では、アメリカの大都市、ロスアンジェルスやサンフランシスコ、ニューヨークなどが人気で、最初から躊躇することなく、サンディエゴを選択する人は皆無だったと記憶しています。 私が、サンディエゴを選択した理由は、大変平和的かつミーハー的な理由からでした。平和的理由としては、80年代にはやったミュージッククリップ(音楽と歌が流れる映像)の中で、アメリカの景色が映し出されるものの中に、さえぎるもののない、どこまでも広がる青い空(それがサンディエゴかどうかは不明)、カリフォルニアの空に魅了されたため。そしてミーハー的理由としては、当時、人気のあったアメリカのナショナルバレーボールチームの本拠地がサンディエゴ。その中の憧れていた選手が住んでいた場所が、サンディエゴ。「会えるかもしれない」と淡い期待を抱いたため。(でも、なんと滞在中に、偶然が偶然を呼んで、本当にお会いすることができました) その翌年、あのカリフォルニアブルーの空が忘れられず、もう一度行きました。私にとって、カリフォルニアといえば、サンディエゴ。もうかれこれ20年近く前の話ですが、「青春の1ページ」別冊版ができるくらい、この地の思い出話はつきません。
当時、友人の案内で、トム・クルーズ主演の米映画「トップガン」のロケで使われた、海軍関係者らのたまり場であるバーの前で写真を撮ったりもしました(入れなかったので、雰囲気だけ味わいました)。遠巻きに基地の敷地を見たような記憶があります。また、ホームステイ先の家庭は違いましたが、知り合った方々には、ご主人が海軍であるなど、ベース関係者が多かったように思いました。そういった事情は、横須賀と似ているのかもしれません。 しかし、そんな思い出とは別次元で、市長のサンディエゴで感じた原子力空母の母港化による安全性検証については、しっかりと考察したいと思います。
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| 2006年 8月 7日 [月曜日] |
| 全国都市問題会議 |
7月の20日、21日に行われた全国都市問題会議に議会から派遣される形で、初めて参加してきました。この会議は、他市の事例や行政に応用可能な民間での事例についての講演などが行われ、会場となった札幌コンベンションホールは、全国より数千人の自治体関係者(議員や行政マン)が集まり、大変混雑していました。 会場をぱっと見渡して思ったことは、女性議員の少なさです。(おかげで、トイレも全く待たずに使用することができました。男性トイレが混雑しているのか、間違えたのか女性トイレを使用する男性の姿を何度も見かけました。まぁ…いいけど) 横須賀市もそうですが、日本の自治体で、男性議員の数を女性議員が上回っているという話は聞いたことがありませんし、そう認識をしていたつもりですが、決定的な証拠を見せられたような気がしました。 今回の会議で、特に印象に残った話は、建築家の安藤忠雄氏、新潟市長の篠田昭氏、そして話題の旭川市にある旭山動物園の小菅正夫園長らによる事例報告でした。 お三方に共通することは、人の何倍もの想いとバイタリティを持って、それぞれの職務にあたっておられるということ。 想いがあるからこそ、地道で、着実な歩みが続けられる、それに、実績がついてきた―。世界的に功績のある方や一目置かれる成功を収めた方からの話は確かに説得力がありますが、それ以上に言葉の端々にそういった想いを感じとれるものでした。 また、特に、新潟市長と小菅園長は、本当に自分の仕事が大好きで、自分の置かれている職場や環境が愛おしくてたまらないのだと感じました。(新潟市長の場合、自分のまち)。 私も10年前には、あらためて言葉に出すほどでもなかった自分のまちへの愛着は、今は、ちゃんと口に出して言えるほど、愛おしくたまりません。横須賀が、本当にスキです。でも、もっとまちのゴミがなくなれば、今の自然環境を守れたら、人へのきづかいや思いやりのあるまちになれば、もっといいなと思います。 話がずれました。会議の話。翌日の21日は、自治体首長や国会議員、大学教授、民間企業でプロジェクトを成功させた女性らによるパネルディスカッションが行われました。 今回の都市問題会議のテーマは、「都市の連携と交流−まちのちからの活用」です。 私の大学院の修論(リサーチ・ぺーパー)でも取り上げた、市民協働についての課題や今後の取り組みについて、色々な意見が交わされていました。 私は、市民の方が行政サービスの一担い手として、活躍いただく姿を拝見して、何度も頭の下がる思いを経験していますし、今後も市民の方に積極的に活動していただきたいと思います。一方で、行政の行うべき仕事には、市民の生命へのリスクがともなうものや大局的判断から行政主導でおこなうべきものもあります。また、仕事を担える民間企業が存在しているならば、市場の原理に任せられるものもあります。 パネルディスカッションの中で、それぞれのセクターに持ち味があり、その持ち味をいかし、それぞれに責任を持つことが重要であるとの意見がありました。まさに同感するところです。
関連して、7月末に、小学2年生の女の子が、市営プールの吸水口に飲み込まれて死亡するという痛ましい事故が起きました。その後、明らかになる管理体制の杜撰さや行政の責任の希薄さに怒りをおぼえます。 今、公共サービスは、行財政改革のもと、先に述べた様々な担い手に移行している最中です。その根底にあることは、その役割に責任を持つことです。そのことが行政も民間企業も欠けていたために起きた事故ととらえています。 たまたま、前日、友人とその子供(ちょうど同じ年の女の子)が横須賀に遊びにきたので、海やソレイユの丘などに連れて行ったりしていました。友人の子を想う親の姿も重なって、楽しい夏の想い出となる日が一瞬にして悪夢と化した親御さんの想いを考えると こういった事故は2度と起きてはいけない、起さないように我々も今まで以上にしっかりしなくてはと感じました。
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